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■ デゴイチ |
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D51型、国鉄蒸気機関車で最大輌数を誇り蒸気機関車の代名詞ともいえる「デゴイチ」の愛称をもったSLです。そういう意味では一般受けしそうな鉄ネタですね。(と言いつつ「一般受け」…しないと思いますが) さてD51の意味は? さてSLは動輪の直径=ギア比のようなものなので、特に大型機では… つまりD51はテンダー付大型貨物機ということになり、戦前に登場した傑作機です。形態的は新しい直線基調のスタイルをまとい、またデフ(デフレクタ=除煙板)も新製時から備えられ、動輪にはそれまでのスポーク型から同時期のC57とともに初めてボックス型が採用されました。国鉄新世代の蒸気機関車の特徴を確立させた形式でもあります。軸配置は1D1(遊軸1+動軸4+遊軸1)のミカド型と呼ばれるものです。因みに軸配置に名称を与えるのはアメリカ式ですが、ミカド型の語源はアメリカ製蒸機では日本輸出用の機関車(形式忘れました)で初めて採用された軸配置だったため、天皇の国向け=帝の国向けということで、ミカド型と称されたらしいです。 D51は戦前から戦中にかけて1000輌以上生産され、形態的には大きく分け最初の100輌ほどの「半流型」(半流線型)、その後の大半の「標準型」そして戦時設計の「戦時型」に分けられます。このうち、最初の約100輌、半流型は「なめくじ」とよばれます。これは、通常機関車の前面に横に置かれる給水温め器とよばれる筒型のものを煙突後方に縦に置き、その後ろに続く通常ドーム型の蒸気溜め、砂箱などと一緒に煙突に続く一体のケースに収めたその特異な形態からきています。また、22・23号機は更にカバーを伸ばしキャブ(運転室)まで繋げた形態となっておりこれら2輌は「スーパーなめくじ」と呼ばれます。(後に「なめくじ」同等に改装、だったかな?) 大半を占める「標準型」は、「なめくじ」に比べより一般的な形態に改められ、給水温め器は煙突前方に横に配置されています。「戦時型」は省資源設計で、見た目無骨です。蒸気溜めのドームなどの妻は丸められずカマボコ型をしていました。極めつけは木製のデフ(除煙板)です。戦後、戦時型も改装を受け質を上げられました。戦時型は1000番台で区別されるため、d51は途中の900いくつから1000(1001かな?)まで番号がとんでいます。今の「番台区分」のはしりともいえると思います。さて「なめくじ」=半流線型は何のためだったのかというのは、当時の世界的な流線型ブームに乗ったもののようです。国鉄の蒸気機関車ではC53(のうち1輌かな?)と、C55(こっちは結構あったと思います)に本格的な流線型を纏ったものが現れました。しかし100Km/h足らずのSLには実効的な意味は無く、整備性の悪さからC53、C55はその後一般の形態に戻されたと思います。 戦後、戦時輸送用の貨物の需要が減り貨物機が余剰となったため、一部のd51はボイラーを流用しc型の脚(2C2ハドソン)と組み合わされる改造を受け旅客用C61となってます。D51の次におそらくメジャーではないかと思われる国鉄最大の旅客機C62(シロクニ)も実は同様にd52から改造された改造機です。また、より脆弱な支線に乗り入れができるよう軸重軽減のためキャブ下の遊軸を2軸に増やし1D2バークシャー型に改造されたものもありこれはD61型になりました。 因みに国鉄蒸機の60番台は、cは全てハドソン(2C2)で、dは全てバークシャー(1D2)で、なおかつ全て改造機です。 C60…C59のキャブ下遊軸を1軸から2軸へ増やし軸重軽減したもの D60…D50のキャブ下遊軸を1軸から2軸へ増やし軸重軽減したもの D51にまつわる最後の話として、国鉄営業運転(復活は除いて)最後の旅客列車牽引機は東京の交通博物館にも保存され有名な(?)C57-135号機ですが、旅客列車のあと、国鉄本線上の営業列車として貨物列車がしばらく(数日か数週間)残りました。そしてその貨物列車の運用についていたのがD51型で営業運転最終日にも4両のD51が運用に当たり国鉄最後の本線上での蒸機営業運転の幕を引きました。(その後も入れ替え用には9600型が残っていたようです)当然これらのD51も保存される予定でした。 …が、これらD51が納められていた機関庫が謎の(?)火災に遭いそれら4両のD51も焼失しました。そしてその後復元されることもなく廃車になってしまったということです。 と、書きながら実は私SLリアル世代ではないので実際に走行しているとこはみたことありません。今も高崎あたりで、復活してるんですよね。 |